猫とマグロのその日ぐらし

誰かに役立つお金、資格、旅行、趣味のこと

MENU

失恋して3年くらい引きこもった話

f:id:osty:20210609181913p:plain

 

はじめて彼女ができたのは高校生の時だった。

小学校も中学校も家から歩いて5分くらいの公立の学校に通ったが、地域柄生徒の素行がいいとは言えず、悪目立ちするといじめのターゲットになるのは必然だった。
だからできるだけ目立たないようにしようとすればするほど目立ってしまうジレンマと戦っているうちに9年が経過した。
彼氏とか彼女をつくるのは親の金で買ったタバコを校舎裏で吸っているような、僕とは異なる人種の人たちだけで、本心ではそんな彼らを見下していた。

 

その後、大阪府下でもいわゆる進学校と呼ばれる高校に入学したが、中学と高校のレベルが違いすぎるせいで人前でどのように振る舞えばいいのかわからず、困惑しているうちに1年が過ぎた。
1年生の間に2回、数学のテストで学年2位を取った。
もちろん下から数えてだ。

彼女とは2年生の時に同じクラスになった。
最初は席の並びがあいうえお順で、彼女はあ行の前半で、僕はあ行の後半だったから、席替えするまでしばらく隣同士だった。
席替えしたあとも、教室や席の移動がある選択授業だと、彼女は僕の右か右斜め前の席だった。

でも彼女とは最初からよく話したわけではない。
彼女とは別に1年生の時からよく話す女の子がいて、2年生になったときいつもその子は左か左斜め前だったから、その子とよく話していた。
この子は後述する〇〇ちゃんである。

 

彼女とはじめてまともに話したのは化学の補習の時。

中間テストで赤点を取って、補習を受けることになったのはクラスで僕と彼女だけだった。
他のクラスからも数人補習を受けに来ていたけれど、僕も彼女も知らない人ばかりだったから、仕方なしというか、たまたまそこにいたから話しかけた。

問題を解き終わるまで帰れなかったから、ふたりでこの問題はきっとこうだいや違うなんて言っている間に校門を出ないといけない時間になった。
部活の先輩には補習があるから今日はいけないとあらかじめ伝えてあったので、そのままふたりで高校の最寄りの駅まで帰った。
何を話したか覚えていないけれど、他愛のないことをたくさん話して、最後に「また明日」と言って別れたと思う。

この日を境に、彼女とよく話すようになった。

 

3学期の始まりくらいだったと思う。

終礼のあと、僕は掃除当番で教室で箒を振り回していた。彼女は掃除当番ではなかったはずなのに、僕の方に駆け寄ってきて小声で、笑いながら言った。

「あんな。✗✗君に告白されたけど断った」
「そうなん」

彼女からしてみれば僕のぶっきらぼうな返事はさぞかし不満だったと思うが、この時点で彼女に対する恋愛感情はなかったし、彼女の恋愛事情に興味もなかったから、生返事が精一杯だった。

ある日、彼女が僕のことを好きだと誰かが言った。
同じクラスの男の子が彼女のことが好きだったが、彼女が僕のことを好きだから諦めたと。

好きだと本人から言われたわけではないのに、好きだと言われたみたいで動揺した。
動揺したけれど、この出来事がきっかけで彼女を意識するようになった。
日に日に彼女のことが気になって仕方なくなって、彼女と楽しそうに話している野球部の男子に嫉妬していることに気づき、自分でも彼女のことが好きなんだと自覚を持つようになった。
でも、そんな気持ちをどのように処理すればいいのかわからない僕はいつも通り振る舞うしかなかった。

3学期の期末テストが近づき、部活が休止になったある日。
予備校の自習室が満席になる前に自分の席を確保しておきたかったので、終礼が終わると誰よりも早く教室をあとにした。彼女は僕を走って追いかけてきた。

「なぁなぁ」
「どうしたん」
「好きな人おるん」

僕が返事に迷ったせいで、数秒間沈黙が続いた。この間、僕と彼女は階段を10段くらい下った。
迷った挙げ句、僕が口にしたのは彼女の名前だった。

「なんでそんなことを聞くん?」
「だって〇〇ちゃんのこと好きやと思っていたから」

その日から僕たちは付き合いはじめた。

 

僕はテスト前以外ほぼ毎日部活があり、彼女も予備校で忙しかったから、放課後や休日に会うことはほとんど無かった。
僕の部活が無い日は教室から駅まで一緒に帰った。駅からお互いの家は逆方向だったが、たまに僕の家と逆方向の電車に乗って彼女の家の最寄り駅まで行き、改札で彼女を見送った。

 

初めてのデートは水族館に行ったが、どうしていいかわからなくて、常に1メートルくらい離れて歩いていた。
昼食に入った洋食屋で違う種類のオムライスを注文し、半分づつ交換した。

 

ある日、僕は彼女にこんな提案をした。

「自転車が撤去されたから一緒に取りに行かない?」

駐輪場の代金を払いたくなかったから、いつも駅前にあるメガバンクの支店の前に自転車をとめていたが、運悪く撤去されてしまった。
一時保管所に引き取りに行くけれど、一緒についてきてくれないか、というロマンチック度ゼロのデートの誘いに彼女は乗ってくれ、二人で彼女の家と反対方向に向かう電車に乗り込んだ。

駅から歩いて15分ほどの一時保管所に僕の自転車はあった。
相変わらず何を話せばいいか分からなかった僕は、左手で自転車を押し、右手を彼女の方に差し出した。
彼女は笑顔で僕の手をその小さい手で強く握った。

「今日、ついてきてよかった」

僕は何も答えず、彼女の手を握り返した。

 

別の日。今度は彼女から僕に提案してきた。

「ちゅーしてみたい」

恥ずかしげに言う彼女をとてつもなく愛おしく感じた。僕は素直にその提案に応じた。

 

3年生も彼女と同じクラスになった。

僕は夏まで部活動があって、地方予選の2回戦で格下の相手に競り負けて引退するまで教室以外では会えない日々が続いた。
それに、僕は彼女と付き合っていることを周りに知られるのはよくないと思っていたから、教室では仲がいい友達のように、曖昧だけど確実に存在する壁を作って、その壁越しに話をしていた。

彼女はよくわからなかった。彼女は自分の考えを表に出すようなタイプではなく、僕は彼女に対して何をすればいいのかわからなかった。
僕も自分の考えを表に出す方ではなく、しばしば僕の不可解な行動や言葉足らずの言動が彼女を不安にさせ、時に深く傷つけた。

僕も彼女も受験生だったから、僕が部活を引退したあとも、放課後に向かう先が体育館から予備校に変わっただけで、高校生っぽくイオンのフードコートで何時間も話をしたり、遊園地や公園に行くなんてこともなかった。
僕は土日も開館から閉館まで予備校に居座り、ひたすら勉強した。

そんな生活を半年ほど送った僕らは見事に受験に失敗した。二人とも第一志望の大学に行けなかったのだ。
僕はセンター試験で失敗し、第二志望の大学に願書を出して合格した。彼女も第一志望の私立大学に落ちたが、第二志望の私立大学に合格した。

 

大学に入学して2ヶ月が経過した。

大学入学後も僕らは片手で足りるほどしか会っていなかった。僕は会いたいと思っていたが、彼女はそうではなかった。
そんな彼女をどうしても非難したくて、僕は彼女を傷つける明確な目的を持った言葉を放った。
彼女は強く反発し、僕を非難した。僕は自分のことしか考えていなかった。
後悔したけれど、ではあの時どうすればよかったかのか聞かれると今でもその答えはわからない。

 

それから数日が経った。

彼女からメールを受け取った時、僕は教習所の待合室にいた。

「話があるから会えませんか」

敬語で書かれたメールの意味を瞬時に理解したと同時に、僕の理解が間違っていますようにと二つ折りの携帯電話を閉じた。顔を上げると待合室には僕しかいなかった。

翌日、僕は駅に向かった。早めに着いたと思ったけれど、彼女はすぐに来た。僕から声をかけた。
「久しぶり」

彼女は最初うつむいていたが、顔を上げ、不安定な、諦めたような表情で言った。

「別れよう」

僕はこれに回答せず、彼女にプレゼントしたペアリングと、彼女から誕生日プレゼントに貰った手作りの巾着袋を彼女に渡した。

「じゃあ」

平静を装うのに必死だった。無理に出したその声は震えていた。

「今までありがとう」

僕は自分の表情や感情をさとられないように、すぐにその場を立ち去った。彼女は僕が見えなくなるまでその場に立ち続けていた。

 

それから3ヶ月間、僕は毎日欠かさず泣いた。

当日、サークルの先輩に彼女にふられましたとLINEを入れた。女の先輩に連れられて個室の居酒屋に入った。
店員がドアを閉めて、先輩が「もう泣いていいぞ」と言った時、僕は彼女の言葉を受け取ってからこの瞬間までにためた感情をこれ以上せき止めることができず、人目をはばからず大声で泣いた。
僕は下戸だが人生で一番酒を飲んだ。飲んでも何も変わらなかったし、酔った勢いで自分のカルピスサワーをこぼした。

 

以降、毎日夜になるとベランダに置いてあるエアコンの室外機にちょこんと座り、声を潜めてひたすら泣いた。どれだけ泣いても涙が止まらなかった。
まるでそれが作業であるかのように、自分を吐き出すためだけに、ただひたすら泣いた。

未練がましかったからその後も彼女とメールのやりとりは続けていて、いろいろあったけれど、僕は最後まで彼女のことが好きだったし、辛かったから、僕からすべての連絡を断った。
セミの鳴き声も聞こえなくなり、気づけば木々の葉が鮮やかなオレンジ色になっていた。

僕は引きこもった。学校の授業が終わるとすぐにアルバイトに行き、家に帰って寝た。
アルバイトがない日は図書館に行って、ひたすら勉強した。
友達もロクにいなかったし、何よりも、誰とも話したくなかった。言葉が持つ力が怖くて、操る自身がなかった。
自ら言葉を発することも、言葉を自分に向けられることも避けたかった。
僕が簿記2級に一発で、それも満点近い点数で合格したのもこの時だった。

この時体重は10kg減っていた。

 

春になって、僕は大学2年生になった。

彼女を好きだという感情がなくなり、その空間を埋めるものはただ悲しいという感情のみだった。
今思えば悲しい自分に酔い浸っていただけだが、僕は相変わらず引きこもりで、相変わらず泣いていた。
彼女との連絡を断ってから約半年が経過したが、この頃から、あまりにも早い速度で流れていく時間に危機感を持つようになった。

少しずつ自分を元に戻すために、人のいるところに行ったが、最初はうまくいかなかった。
グループでディスカッションをしたり、発表したりするような授業を受講したが、空回りばかりで、最後、僕の周りには誰もいなくなっていた。が、これを機に外に出るようになった。

後腐れない人間関係ならどうなってもいいと考えて、いろんな場所に行って、いろんな人と話した。人生で一番活動的な時期だったと思う。
立ち止まるともう一度走り出せないような気がしたから、後ろを振り返らずただひたすら走り続けた。

 

気がつけば僕は大学4年生になっていて、エアコンの室外機の上で泣くことはなくなっていた。
僕は変わったと言われるようになった。何がどう変わったのかわからないけれど、優しくなったと。
この時、恋愛をする機会が何度かあったが、僕は傷つくことが怖かったから全部その場から逃げた。皮肉なことにこの時が一番モテた。本当に最低なやつだと思う。

 

僕は強い人間じゃないってわかっていた。

ただ辛かったから。何も言わなくていいから、ただ話を聞いてほしかった。
そうだねって言ってくれるだけでよかった。
でも友達もろくにいなかったし、こんな自分を見せられる人はひとりもいなかった。

でもやっぱり耐えられなかった。ベランダの室外機の上で泣けばなくほど泣くことが作業になっていく。
泣けば泣くほど自分は悲しいんだという思いがどんどん強化されていくようで、悲しい自分に酔っているだけの自分が客観視できた。
本当は体内に溜まったものを出し切るために泣いてるはずなのに、まったくうまくいかなかった。
ただどうしても言葉を吐き出したくてしかたなかった。

かといって、ブログやツイッターに載せる気もなかった。
誰かに惨めな自分を見られるのも、自分が悪いんじゃないと批判されるのも嫌だった。
そもそも別に誰からの評価を求めているわけじゃなかった。

それなら日記でいいのでは。そう思いついた僕は毎日思ったことを日記に書くことにした。
手書きするのはめんどくさかった。Wordに書くのも味気なかった。
ちょうどバイト代でMacbook Airを買ったばかりだったから、日記アプリを買って、それに毎日全部吐き出すことにした。

さっき日記アプリを開いてみたらすべてデータが消えていた。当時自分がどんなに崩れていたか思い返したかったけれど、これでよかったと思う。

あと、秒速5センチメートルという新海誠氏の映画を何度も見返しては泣いた。
幼い頃の淡い思い出をいつまでもダラダラと引きずる主人公と、それとは対照的に新しい人生を送るヒロインが描かれている。
そんな主人公に感情移入して、彼女はもう新しい人生への一歩を踏み出しているんだと思いながら、主題曲の山崎まさよし氏の「One more time, One more chance」を聴いた。

 

あれから10年近く経つはずなのに、1年前くらいの話に思う。

もう顔も声もよく覚えてないし、思い出でしかないけれど、ふと彼女が今何をしているか気になることがある